人気ブログランキング | 話題のタグを見る

子育てdairy


皆さんの子育てに関するドキュメンタリーをお届けします
by kosodatey
カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
メモ帳

見ることの出来ないわが子へ

┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 
. :   ☆ 。.  コ┃ソ┃ダ┃ テ┃ク┃ ラ┃ブ┃
。.: *▲▲* : ━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛
  *★▲★*:  
: :*▲▲▲▲*  「見ることの出来ないわが子へ」 
 ~~~∥~~~  http://kosodatey.exblog.jp/
┗━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Vol.61 ━━━━━━━━┛

32年前、私に生んであげることの
できない命がお腹の中にやどりました。

当時の夫は、アルコール中毒で、競馬、
パチンコ、マージャンとあらゆる
ギャンブルに手を出し借金まみれ。

いくら言っても職に就かず。

生活費と夫の借金は私のパート
勤めのわずかな収入で補っていました。

3歳になる、長男も養っていかなくては
いけません。

なんとか、お腹の子を産んであげることは
できないか、頭がおかしくなる程悩みました。

夫に相談しても、全くとりあってくれません。

親の反対を押しきっての結婚だったので、
親には相談できず。知らない土地に移り住んだ
ばかりで友達もいません。

昔の友人に相談しようと思っても、
電話料金を滞納して電話をかける
ことすら出来ませんでした。

今なら、病院にカウンセラーがいて
相談に乗ってくれたのでしょうが、
当時そんなことは出来ませんでした。

私にはどうすることも出来ず諦める
よりしようがありませんでした。

私は、悔しくて、悲しくて、腹立たしくて、
情けなくて、涙があふれてどうしようも
ありませんでした。

こんな思いはもう2度としたくない。
私は、長男を連れ恥を忍んで実家に
帰りました。

父に怒られるんじゃないか、家に
入れてもらえないかもしれない・・・

そんな不安な気持ちで帰りました。

でも、両親はやせ細った私たち親子
を見てなのか、なにも言わず受け入れて
くれました。

両親に、生んであげることの出来なかった
子供のこと話すと、父は小さな観音様を買って
きてくれて、仏壇に添えてくれました。

それから毎日、私はこの子のことを想い、
毎日お祈りしました。長男も小さな手を
合わせて一緒にお祈りしてくれます。

今は、再婚し2人の男の子を授かり、
長男を合わせ子供は3人、幸せな毎日を
過ごしています。

そして、つい先日友人を通し、ある霊能者
の方に会うことがありました。

最初私は、なにこの胡散臭い人、と思いましたが。

開口一番に、「あなたは、水子を気にしていますね」
といい、続けて「現在32歳、名前は博巳といいますね」

全て当たっていました。生まれていれば現在32歳
男の子か女の子か分からなかったので博巳と自分
中で名づけていました。

驚いたのは、水子はちゃんと年齢に合わせて成長
するそうです。

そして、私は、「何か欲しい物はありませんか?」
と尋ねると、「タバコとコーヒー」と答えたそうです。

最後に、私が一番気にしていたこと、「この子は
私のことを恨んでいませんか?」

答えは、「恨んでいません。もし恨んでいたら
こんな話はしません。」

私が、いつもお祈りしている姿を見ていたそうです。

それを聞いて、私はすごく気持ちが楽になりました。

たとえ、生まれることがなかった命でもわが子として
想いを馳せれば、ちゃんと伝わるんだと思いました。

これからも、お祈りを続け、話しかけてあげようと
思います。タバコとコーヒーをお供えして。

いつも見ていてくれてありがとう。見ることの出来ない
わが子へ

母より

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


お読み頂きありがとうございます。

下記をクリックするとブログの人気度ランキングがあがるので
1日1回クリックをしていただけると有難いです。


# by kosodatey | 2008-07-31 19:58

情熱をもつ

┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 
. :   ☆ 。.  コ┃ソ┃ダ┃ テ┃ク┃ ラ┃ブ┃
。.: *▲▲* : ━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛
  *★▲★*:  
: :*▲▲▲▲*  「情熱をもつ」 
 ~~~∥~~~  http://kosodatey.exblog.jp/
┗━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Vol.60 ━━━━━━━━┛

家の息子は、いわゆる野球バカです。

朝早く学校へ行き、ランニングと
キャッチボール。

夕方は全体練習、家に帰り夕食後は、
素振りと毎日欠かさず練習していました。

手は、マメが何回も潰れて、タコになっています。

でも、いくら練習してもレギュラー
には慣れませんでした。

練習の時は、玉拾い、外野の守備をしたり
ピッチングの玉を受けたり。

試合は、ベンチで声出し、バット引き、
ランナーコーチとぜんぜん目立ちません、
それでも自分の仕事を一生懸命こなしていました。

2年生の時は、後片付けがなっていないと、
上級生に顔を殴られ青あざをつけて帰って
来たこともあります。

それでも、愚痴1つ言わず、野球をしている
時の息子はとても楽しそうでした。

なぜそこまで熱く慣れたのでしょうか。

先日、私は息子の部屋を掃除していたときの
ことでした、本棚から少しはみ出た紙があり
息子には悪いと思ったのですが、
気になって開けてみました。

それは、小学校6年生のときに
息子が書いた作文でした。

そこには、
『僕の将来の夢は、プロ野球選手になることで、
ホームランを沢山打って、お金を稼いで、
かあちゃんに楽をさせてあげることです。』
という内容が書かれていました。

私は、胸にこみ上げてくるものを感じました。

おそらく息子は毎日見ていたのでしょう、
その作文は手垢で真っ黒になっていました。

あっと言う間に3年生になり、
息子の親友でキャプテンをしていた茂君が
「最後の試合、幸弘を試合に出してください」
と監督に直談判してくれたのです。

それを聞いた息子は、最後の試合を見に来て欲しい
と初めて私にお願いしました。

試合当日、息子はいつものようにベンチで
中腰になり仲間を応援していました。

5対2でリードしていた最終回、
息子は、監督に呼ばれサークルボックスに
入りました。

そして、息子が代打でコールされ最初で最後の
バッターボックスに入りました。

私は、興奮して「幸弘頑張れー」とありったけ
の声で応援しました。

第一級目、見逃しのストライク
第二級目、ファールボール
第三級目、空振り・・・
の三振に終わってしまいました。

でも、息子は満足気にベンチへ帰っていきました。

家に帰り、私は「三振して悔しくなかった。」
と尋ねると、

息子は、「全然、だって毎日の練習は充実して
楽しかったし、三振したけどやることはやったから
悔いは無い」といったのです。

息子は、プロ野球の夢どころか、学校でレギュラーにすら
なれませんでしたが、夢をもって悔いの残らないよう、
充実した毎日を過ごしその過程を楽しんだのだと思います。

私は、情熱を持って物事に取り組む息子を見て
嬉しく思う反面、羨ましいという気持ち
になりました。

これからいろんな苦難が待ち受けていると
思いますが、難なく乗り越えてくれると
安心出来た一日でした。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


お読み頂きありがとうございます。

下記をクリックするとブログの人気度ランキングがあがるので
1日1回クリックをしていただけると有難いです。


# by kosodatey | 2008-06-27 00:04

┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 
. :   ☆ 。.  コ┃ソ┃ダ┃ テ┃ク┃ ラ┃ブ┃
。.: *▲▲* : ━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛
  *★▲★*:  
: :*▲▲▲▲*  「夢」 
 ~~~∥~~~  http://kosodatey.exblog.jp/
┗━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Vol.59 ━━━━━━━━┛

20歳になる息子が上京しました。

熊本から、ミュージシャンを
目指しての上京です。

息子から最初にこの話を聞いたときは、
夫も私も本当に驚きました。

趣味でバンド活動をやっていたのは、
知っていましたが、まさかプロを
目指していたとは・・・

息子は最初、私にこの話を切り出し、
夫にはなかなか話せないでいました。

しかし、バンド仲間と一緒に上京を
決めていたので、その期限が迫り、
恐る恐る夫にこの話をしました。

夫は猛反対です。
「本当にミュージシャンを目指して、
東京に行きたいなら、この家には
2度と帰ってくるな。」

と言い、その場を去りました。

夫が怒るのも無理はありません、
大事な一人息子なのですから。。

私も、「わざわざ東京に行かなくても、
せめて福岡でも活動は出来るじゃない。」

と言っても、息子は一切私達の言うことを
聞こうとしませんでした。

そして、次の日、息子は夫と私に改めて、
「俺には夢がある、後で後悔したくない。
だから許してください。」と頭を下げました。

夫は、「好きにしろ。」と言いそれ以来、
息子とは口を利こうとしませんでした。

そして、息子は、勤めていた会社を辞め、
今まで乗っていた車を売りに行ったのですが、
足元を見られ二束三文です。

夫や私の実家に挨拶に行きましたが、
皆反対し、考え直すように言われました。

それでも諦めずに、息子は、上京し、
ボロボロのアパートを探し、
レストランで皿洗いのバイトをやりながら
バンド活動を行いました。

そして3ヵ月後、インディーズではありますが
CDデビューを果たしました、この時は親戚が
そろってCDを買ってくれました。

でも2枚目のアルバムの時は、
私の親戚や知り合いはほとんど
買ってくれませんでした。

最初の一枚は、皆情けで購入してくれたのです。

まだまだ、メジャーデビューは遠く、
周りは認めてはくれませんでした。

でも、私だけでも、諦めず情熱をもって
夢を追いかけている息子を応援して
行こうと思います。

いつか、夢が叶う日を願って。

そして、夫は私に隠れて自分の車にCDを乗せ
聞いているようです。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


お読み頂きありがとうございます。

下記をクリックするとブログの人気度ランキングがあがるので
1日1回クリックをしていただけると有難いです。


# by kosodatey | 2008-06-25 23:23


最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧